ハルヒの驚愕を読破。
驚愕って程でもなかったけど、色々驚かされました。
まあ小さな山がじわじわくるのがハルヒである気がするので
「らしい」作品でしたね。
しかし様々なファンが付いているとはいえ、
結構ハードなSFだよこれ。
ただしそれが主軸でありながらも単なる一要素に変化したりするから
読者はついてくるんだろうな。
個人的な今回の見所は古泉。(選ぶ人少ないかもしれませんがw)
ネタばれはしませんが「こういう展開」があるから私はハルヒを読んでるんですよね。
もし女性ばっかでキャピキャピやるだけの作品なら見向きもしてなかったろうなあ。
私が一番苦手なのはガールズトークだったりするし。
同じ京アニでもけいおんとかってのは全然手がのびない。
すげー人気なのは分かっていますが、
やっぱ女子高生の日常の駄弁りとかがいいのだろうか。
う〜ん、生き方変えんと理解はムズかしいだろうなぁ。
まー私自身の興味の根底が結局のところSFだからなんだろうけどね。
その根底を構築したのが、うちの親父の大量の蔵書。
もと画家志望な親父でしたので絵画の本は結構あった。
特にダリとか子供心に異世界の恐怖に落とされそうな絵ばっか見ていたために
恐怖と興味が混在してしまった。
んで小4とかでこれも親父の蔵書の
手塚治虫のブッダとか火の鳥とか読んで「無」と「時間」の恐怖にとりつかれることとなる。
私のホラー好きやSF好きはそのトラウマを飲み込みたいがため興味へと変化したに過ぎない。
人間そんなもんである。
結局のところ価値観というものはその人が持っている「恐怖」を無くしたいがため
芽生えるものなのではないかと私は思う。
だからガールズトークが好きな男性がいたとして、私はその人を否定はできない。
その人にはその興味へとつながる何らかの恐怖があるからだ。
ただ私にとっては無為なだけで・・・。
こう考えると同じ「ハルヒを読む」でも読後の満足感は人によって当然相当違う。
特にハルヒはムズイ単語が飛び交うので、んなもなぁわかるか!って感じに
読み飛ばす人もいるだろう。(もちろん私だってそんなに理解は出来ていない部分が多い。)
恋愛模様だけ見ていればいいという人も
けっこー多いはずだ。
でも私は様々な世界を旅してきたような満足感を得られた。
それは常に私が持っている「恐怖から生まれる世界」を何度も
発露する部分がこの作品にはあったからだ。
そんな作品を「私は」良い作品と呼ぶ。
そしてそんな私だからこそPPを描き切れるのではないかと考えている。
齟齬はあれどもゼノサーガと私はシンクロできる気がするのだ。
取りあえず私のわがままにもうしばらく付き合ってみていただければこれ幸いであります。
ところでTOHOシネマズ秋田で劇場版ブッダを見ようと画策しているのだが、
レイトショーが無いのはどういうことであろうか。
チャプラとタッタが待っているのに・・・。