借金もクリア後イベントもまだまだあるのだが、
結構お腹いっぱい。
お話的にはなかなかハードで、
少女のために世界を壊すというキャッチフレーズのとおり
最後までカルネアデスの板のような葛藤が続く感じ。
しかし、いかんせん最近のテイルズの傾向なのか
「全年齢向け」、あるいはイベントのファン層から分かるように「女性向け」に
会話が調整されている感じも受けた。
非常にソフトな仕様のチャットやイベントが繰り広げられるため
ハードさがかなり薄められているのはちょっと惜しい。
「テイルズはこうなんだからいいのだと言われれば」
まあ何も言うまい。
それよりもキャライベント見てて強く感じたのは
すべてのキャラクター達が非常に弁が立ち
一つ一つの問題を論破できない正論へと導いていく
ちょっと異様な光景。
まるで神話上の存在であるかのように
成熟したキャラクターというのはちとやりすぎかと思った。
はなから屁理屈まみれの敵がいるわけでもなく
皆ある一定水準以上の強い倫理観と理解力を持っている。
すごく綺麗すぎるキャラ造形。
チャット一つ取り上げてもプレイヤーは
知らず知らずのうちに結構説教されているのだが、
「これはこうじゃないですか→いやそれは違うこうなんじゃないかな→そうかそうですよね!」
というキャラが納得してゆく展開が多いので割と気づかないかもしれない。
だけども、それが心地いい人もいそうだ。
話を進めるだけでどんどんキャラ達が難題を解決してゆく様は
プレイヤーがこうだと思っても「っと、ああそうかそうだよそれが正しいよ。」
という受身の体制に持っていく。
そのせいなのかはわからないが・・・今回のテイルズには
主人公の「選択肢」がプレイヤーの意思として
表現されるつくりになっている。
それも重要なところでは一のために全をどうするかというような
究極の選択があるので、
ある意味答えの出ない部分だけをプレイヤーに任せているかのようだ。
これが意図であったなら、今まで語ったことをひっくるめて
作品としての完成度は高いことになる。
「あえて」周囲をそういうキャラ達で固めて、
プレイヤーの人間としての自由意思を強調したのであれば
このエクシリア2は成功といえよう。
その選択結果によるEDも多数あるようだし。
だとして、エクシリア1のキャラ達はちょっと不憫だ。
今語ったように新主人公ルドガーを強調するための
サブでしかないわけだから。
EDも見てみるとそんな扱いだった感じを強く受けると思う。
しかし最終的にテーマをぶれさせないようにするにはそれしかないわけで。
これはこれでよかったのかも。
さて、そんな私がこの作品を一言で表すとしたら
「優等生な作品」ですね。
前作から意志の力がどうのと、やたらとゼノサーガでも扱ったことを
わかり易すぎるほどストレートに表現する作品ではありましたが、
それらの素材すべてを綺麗にまとめ過ぎていることで、
粗い部分の面白さを失っている気がします。
綺麗なもので美しく表現したものより、
歪なもので美しく表現したものの方が
人の心には残るもの。
まあ実際そんな極端ではありませんが
最近のテイルズはスタイリッシュにまとめすぎている気がします。
芸術より商魂の傾向ですね。
と、ここまであーだこーだ言ってきたもののこの作品を否定するわけではなく、
単に私が求めるものがなかっただけで、
「意志の力」とか今までの人生であまり聞きなれない方には
新鮮に受け入れられるはず。
キャラがかっこいいかわいい渋いでハマっても良いでしょう。
でも私は弁論大会やキャラ魅力よりも、
手塚先生の火の鳥など
「言葉にならない程圧倒される見たこともない領域」に魅了された人間なので
穿った見方になっているのかもしれません。
でも・・・デスティニー1・2にはあったんだよなぁ。
ダイクロフトとかベルクラントとか結構圧倒された。
結局政治だとか哲学だとかをだらだらやるより
どでかいハッタリ一つあればいいのかもしれない・・・なんちて。